ローズ・ピアシー『我が愛しのシャーロック・ホームズ』、柿沼瑛子が昔訳したのに大幅加筆して挿絵も入ってラノベっぽく再版されてるんだけど、19世紀末に同性愛者だったワトスンがホームズに懸想しつつ「でも社会が〜」って悶々とするという話である。これ20年前に訳した柿沼女史の慧眼よ。同時代のO・ワイルドと恋人のA・ダグラスがカメオ出演してるのも面白い。しかし、あうあうするワトスンと超絶ツンデレのホームズにキュン死した。
原作ってホームズ>>>><<ワトスンくらいの両想いだと思うんだけど、BBCだともうちょっと均衡してて火村とアリスみたいな共依存ぽいイメージ。御手洗と石岡くんは御手洗>∞><石岡くん。(個人の感想です)
これ読んで考えたんだけど、自分の性質を考える時、つい家庭や教育や仕事みたいに自分では選べなかったものが自分に大いに影響したように考えてしまうんだが、実はそんなのはたいしたことないんじゃないか。結局のところ自分で選択した環境によって作られてるんじゃないか。
自分で言うと認識してる内向的でヲタクでかなりのネガティヴ思考だというは「選べなかった環境」で作られる性質。他人から見た「アクティブで比較的社交的、わりと大雑把」な性格は自分で選んだ環境で作られた性質だ。自分で選んでいるにもかかわらず自意識と乖離するっていうのが少し興味深い。
つまりホームズが自ら選んでワトスンと同居してからのほうが彼の対外的な(非)人間性が完成したんじゃないかと思う。
ホームズがワトスンと出会ったことで完成するって、なんか母親のまなざしのなかで赤ちゃんが身体を統合していくっていうところから始まるラカンの鏡像段階とか思わせる。端的にいうと「他者に求められるように振る舞う」ことで対外的なかたちが出来上がってくってかんじか。
そんなわけでホームズってワトスン君に出会う前はもんのすごく博識で運動もできてそれなりに人情もあるんだけど、多面的すぎる自身を制御しきれずもてあましてたのが、ワトスンに出会うことで「統合」されていったんじゃないか。BBC版では「人間性を取り戻す」とか「成長する」とか言われるけど、個人的には「統合」という言葉が一番しっくりくるのであった。
